徒然なるままに

新人賞への投稿を考えているので、モチベーションの維持のためにモソモソ書いていこうかと。ジャンルはラノベ、BL等です。腐女子なのでご注意下さい。一応。

俺、この戦争が終わったら…

こんばんは。

ブログの更新時間だけを見てもあまりにも乱れきった生活を送っていることが明らかになりすぎているような気がします。


やらなければいけないことが山積みになっているときに限ってやりたいことがどんどん浮かんでくるのは人間の性だと思います。


この前、久しぶりに小説を読みました。

最近集中力体力その他諸々の低下で小説が読めなくなっていたものと思っていましたが、読めました。普通に。


で、当然のように湧き上がる読書欲と小説書きたい欲(?)


今は残念ながらやらなければいけないことだけでも本当に寝る間も惜しいほど山積み状態で身動きが取れないのですが、これが、これさえ終わったら私は……!


全部終わって落ち着けるのは、いつになるやら。


生きていくのは大変です。


ホモをください。

最近話題になってた男性保育士の話。

お久しぶりです。如月です。

見返してみたところ最後の更新から半年以上経っているようです。時が経つのは早いものですね。

久しぶりの更新がこんなテーマで申し訳ないのですが、あまりにも腹が立ったので、それほど見ている人もいなさそうなここで吐き出させていただきます。


今回話題にしたいのは「保育園で女児の着替えや排泄の処理などを男性保育士にしてほしくない、というのは男性差別か」ということです。


最初に断らせていただきたいのですが、この件、私は断固として、男性差別「ではない」と考えます。また、この件に関しての某市長のツイートに対して思うことは、一貫して「何言ってんだこいつ」です。

この記事を読んで不愉快になる可能性のある方は速やかなブラウザバックを推奨いたします。


というわけで、ここからは本題に入りたいと思います。




まず、男性保育士に女児(発言者からすると娘)の着替えや排泄の世話などをして欲しくない、女性保育士をあててほしい、という考えについてです。

現在日本では、日々多くの性犯罪が起こり、最近では小さな子供を狙った悪質な性犯罪がよくニュースになっています。そして、性犯罪の加害者は、圧倒的多数が男性です。

これだけを背景に考えても、見ず知らずの他人に子供を預けるという回避出来ないリスクがある中で、子供が性犯罪の被害者になるかもしれないということを考えれば、よりリスクの低い方を選ぼうとするのは親としては合理的な判断のはずです。

しかし実際には保育士の数が足りないなどの理由で実現不可能なのが現状のようです。

今回、そこで行政、というか某市長が出てきたようなのですが、そういった状況であれば普通、親が求めるものと保育園の現状がどこかでかみ合うような落としどころを探すのが役割だと思いませんか? 例えば親の不安を拭うための方法を考えるなど、平和的に解決する方法はいくらでもあったはずです。

ところがこの某市長、「男性保育士に娘の着替え等をして欲しくない、というのは男性差別だ」と言い切りました。妥協点を探すこともなく、不安を訴えている親側だけをバッサリ切り捨てたわけです。

不安を訴えている多数派が女性だったようなので、それが気に食わなかったのでしょうか。

個人的には、それだけ女性が日々男性に対して性的な不安を感じているのだとしか解釈出来ないのですが、この某市長が男性だからでしょうか?「女性の不利益には敏感なのに男性の不利益には鈍感な男性差別」というとんでもない結論に至ったようです。こんなひどい感情論が市長に賛成する人にはとても論理的に見えるようで笑ってしまいますが、それほど重要なことでもないので本題に戻りますね。

某市長は「もし男女逆だったら大問題になっている」というのを根拠としていたようなので、それについて少し考えてみましょう。


今回の件を、男女逆にするとこうなります。「息子の着替え等の世話は女性保育士ではなく同性の男性保育士にして欲しい」


これ、女性差別ですか?

私にはとてもそうとは思えませんし、これが女性差別だなんていうトンデモ批判が世に溢れかえるとも思えません。

ただ現状では保育士がほぼ女性なのでそれは実現不可能だろうという意見は出るだろうと思います。


某市長の言う通り男女逆にしてみましたが、女性差別要素が見つかりませんでした。つまり「女性の不利益には敏感だが男性の不利益には鈍感な男性差別」と語った根拠なんか全くのデタラメだったということです。そんな根拠をもとに「男性保育士に女児の着替え等をさせないのは男性差別だ」「女性は女性の権利には敏感で男性の権利には鈍感だ」と、親として合理的な判断をし、保育園側にもそれを求めただけの善良な一般市民を差別主義者呼ばわりするわけです。むしろこれこそが差別でしょう。

それを、一個人ならともかく、曲がりなりにも市長という責任ある立場に立っている人間が宣言し、しかもそれに大多数が賛同しているという現状が、どうしても許せませんでした。


私自身、性を売り物にするようなメディアによく触れている身なので性癖というものに他人より敏感なのかもしれませんが、成人女性であっても痴漢などの被害に遭っているような時代です。実際私の周りでも何人かやられているようですが、いずれも泣き寝入りしたそうです。こんな、男を見たら性犯罪者だと思え、というような時代に、自分の身すら守れない我が子を心配する親の気持ちはそれほどおかしいことなのでしょうか。男性保育士と一切関わらせるな、というならともかく、着替えなどデリケートな部分だけは、という意見を「それは差別だ!」と感情論で切り捨てるのはあまりにも乱暴すぎやしませんか。


さすがに黙っていられなかったので、ここで吐き出させていただきました。

こんな長文をここまで読んでくださった方がいるのかどうかは分かりませんが、いたならばありがとうございました。

お目汚し失礼いたしました。

人称の話

小説を書く上で、何人称で書くかは、避けて通れない問題だと思います。


私個人は、昔は三人称で小説を書くことが多かったのですが、もともとの性格なのか、視点があまりにもフラフラしてしまいまとまりがなくなってしまうため、最近はもっぱら一人称で小説を書いています。

まあ、一人称のほうが感情的なすれ違いや誤解を書きやすいというのもあるのですが。


そしてBL小説の場合、問題はもうひとつ。

一人称で書くとしたとき、攻め視点で書くか受け視点で書くか、という問題です。


あくまで印象ですが、商業誌を見た限りでは、受け視点が多いように感じます。やはりメイン読者が女性なので、受け視点のほうが感情移入しやすい等あるのでしょうか。


しかし私は、攻め視点で書くほうがおそらく多いです。理由は簡単。攻め視点にしたら、受けがとってもとってもとーっても可愛いからです。

可愛い受けちゃんを可愛がりたくてBLを読むし書くんです、私は。


こういう考え方は少数派なのでしょうか。それとも私の性癖が偏りすぎているだけ?


BLって難しいです…。